プロローグ「壊れた家族」その1~「あの子達を殺して私も死ぬ」~

「あの子たちを殺して私も死ぬ!!」

 

・・・ある晩、いつものように父と言い争っていた両親。

ここまでは、我が家の日常。

 

しかしその晩はちょっと様子が違った。

突然、母がそれまで見せたことのないほどの半狂乱に陥り、

突如台所から包丁を抜くと、父に包丁を向けてそう叫んだ。

 

逃げ場のない寝室のベッドの中でその様子を聞いていた私と弟は、

何もできないまま凍り付くしかなかった。

 

その時の父はというと・・・

 

良く言えば、臆することなく、

悪く言えば、「自体の深刻さを本当に理解しているのか」

というほど醒めた様子で、

 

「ほう?お前に出来るのか?やってみろよ」

と、ゾッとするような冷たい口調で煽っていた。

 

もう少し父がバカで、母をもっと強く挑発していたか、

あるいは母がもう少し「思い切りのよい」性格だったなら、

私達一家は翌日の地元新聞の一面を飾っていたことだろう。

 

正直、この時の父と母の会話はよく覚えていない。

 

「あ、私、今死ぬかも知れない」

「死って、こんなにどうしようもないタイミングで突然来るものなのかな」

とか、そういうことを考える暇もなかったと思う。

 

ただ、頭の中が真っ白で、何も考えられなかった。

 

気が付くと、母の駄々っ子のように泣きじゃくる声が聞こえてきて、

どうやらその場は何とか収まったらしいことだけは分かった。

 

これが私達の一家。

 

「家族」と聞いて、私が真っ先に思い出すのはこの記憶だし、

二番目くらいに思い出すのは、苛立った父が私に対してぶつける怒り、

そして罵倒、人格否定・・・。

 

母は、いわゆるうつ病のように、ずっと布団に入り込んで起きてこない。

父と母が居合わせれば、すぐに始まる罵り合い。

 

こういった光景が我が家では「日常茶飯事」だったし、

そのくらい、どうしようもなく壊れきった家族だったのだ。

 

 

機能不全家族とアダルトチルドレン(AC)

私の生まれ育ったような「壊れた」家庭を世間では「機能不全家族」と呼ぶ。

そしてそんな「狂った」機能不全家庭で育ち、その心の欠損を抱えたまま大人になってしまった私のような人々を「アダルトチルドレン」と呼ぶのだそうだ。

 

私が「機能不全家族」そして「アダルトチルドレン」という言葉を知ったのは、大学時代になってからだった。

機能不全家族(きのうふぜんかぞく、英: Dysfunctional family)は、家庭内に対立や不法行為、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクト等が恒常的に存在する家族を指す。機能不全家庭(きのうふぜんかてい)とも称され、その状態は家庭崩壊(かていほうかい)、もしくは家族崩壊(かぞくほうかい)といわれている。
※wikipediaの概要より

「アダルトチルドレン」とは、機能不全家族で育ったことにより、「親から守られる」「適切な教育を受ける」などの正常な成長過程をたどれず、成人してからも生きにくさや心に傷を抱えている人のことをさします。
※うららか相談室より

 

実はこれらの用語は最近できたばかりで、しかも明確な定義はない。

そのため、こういった「概念」を乱用することに否定的な人々も多く、まだまだ議論が絶えない概念だ。

だが世間的に言えば私は「機能不全家族育ちの」「アダルトチルドレン」の一人だと言えるのだろう。

 

実際、私の家庭が「異常」であったことは間違いない。

私の家庭の出来事を、普通の過程で育った知人に語ると大抵ドン引きされるし、実際私も「ヤバい」家庭であることは、遅くとも小学校高学年時代には十分自覚していた。

 

「家族団欒」などという概念は、私にとっておとぎ話かオカルトの類くらい「非現実的で遠いもの」であり、少なくとも我が家にそんなものは「一切存在しなかった」と断言できるだろう。

 

物心ついたときから険悪だった両親

私に物心がついたときから、既に父と母は「しょっちゅう喧嘩していた」ということはぼんやり覚えている。

家族が揃って家にいる状態というのは「安らぎ」などではなく「一触即発」。

遅かれ早かれ、父と母の醜い喧嘩が始まることを意味していた。

 

誇張抜きで、本当にただ一緒にいるだけですぐ喧嘩が始まる。

なんでこんなに人と人同士が憎しみ合えるのか、なぜそんな二人が「夫婦」をやっているのか、一流のミステリー小説家でも理由付けに困るのではなかろうか。

 

一切自慢できることではないが、「呉越同舟」という表現がこれほどピッタリくる夫婦はこの世に存在しないのではないかと思うほどだった。

 

そして案の定・・・というか100%に近い確率で喧嘩が始まる。

たいていは、母の立ち振る舞いが気に入らない父が一方的に母を咎め、それに母がヒステリックに反発する形でバトルが始まっていた。

 

その喧嘩は、大抵数時間以上に及ぶ。

父が家にいるのは主に夜なので、日にちが変わるまでずっと喧嘩していることも珍しくなかった。

 

私の両親が、趣味や休日の過ごし方などといった「前向きで楽しい会話」をしている場面を、本当に私は見た記憶がまったくないと思う。

父が母に話しかけるのは常に「ダメ出し」のためであり、母が父に自分から話しかけることはほとんどなかったかあるいは「不満」を告げる時だけ。

 

そんな両親の喧嘩は、私が小さいころから始まって、小学、中学・・・さらに私が高3の受験生になっても続いた。

それだけ長く続くと、私達きょうだいも慣れというか、感覚が狂ってくるので「またいつものか」と諦めムードで聞いていることも多い。

 

だが、私が受験勉強をしている際も両親はお構いなしで言い争うため、我慢の限界が来たことが一度あった。

後々語っていくつもりだけど、私の父は独裁的で恐ろしい人間で「毒親」とも言うべき人格の持ち主。

そんな父に対して私は基本的に頭が上がらなかったんだけど、センター試験(当時名称)過去問を解いてる最中に、母乳がどうだのトイレがどうだの意味の分からないことで延々喧嘩をしていた両親。

その不毛で中身のない喧嘩と、受験中特有のイライラが合わさり、さすがの私もブチキレてしまい、ものすごい剣幕で乗り込んでいくとさすがの父も黙りこくってしまった(苦笑)

かといって、私のその「一瞬の怒り」程度で両親が行いを改めるはずもない。

 

だって向こうは、もう20年以上このくだらない関係を続けてきた、筋金入りの「仮面夫婦」なのだから。

 

結局、今に至るまで両親は険悪なままである。

 

親戚の仲介もあって時折両親が「和解」を試みたこともあるが、いずれも数か月持たず元に戻ってしまった。

※なお、母方の祖父母とはこの「仲裁」がきっかけで衝突し、完全に交流が途絶えた。

 

逆に何度か「悪者」とされていた母が追い出され、別居する形で夫婦が離れたことはあったが・・・

母は私達きょうだいへの執着心が強く、出ていってはまた半年くらい経つと父に泣きついて戻ってくる・・・

そして夫婦がよりを戻そうとしたと思えば、数か月も持たず元に戻る。

そんなことの繰り返しだった。

 

私にとっての子守歌は、両親の罵声。

私の眠るゆりかごは、狂った両親がまたいつ包丁片手に襲ってくるかも分からない家。

 

私(と弟)は「無垢な子供時代」「輝かしい青春時代」を、そんな両親のもとで過ごしたのである。

 

今思えば、私の両親は私の知る中でも「最も身近」な存在であるはずなのに「最も不可解」な人達だったと思う。

「なんで、あの二人はこんなに憎み合ってるのに離婚しないのか。」

「なんで、そもそもあの二人は結婚なんてしようと思ったのか。」

 

そして、

「なんで、私(と弟)を産んだのか。」

「そもそも、そんな両親から生まれた「私」とは一体何なのだろう」

今でも、私はその答えが分からないままでいる。

 

幼少期から、途切れることなく丁寧に育てられてきたこの「心の欠落」は、今や立派に毒々しい大輪を咲かせ、いまだに私の人生に暗い影を落とし続けている。

 

「真面目で誠実な善玉」の父と、「怠惰でいい加減な悪者」の母

こんな私の両親に対して、

「そんなに仲悪いんだったら、さっさと離婚したらいいのに・・・」

というのは私も含め誰もが思うことだろう。

 

だが、私の家族は説明すればものすごく長ったらしくて鬱陶しいほどに複雑で歪んだ関係性で成り立っていた。

 

私の両親はこれほど憎しみ合っている割に、

どういうわけなのか、

「離婚」

だけは(母が頑なに拒否する形で)なかなか成立せず、今も両親は戸籍上「夫婦」のままである。

 

私も、子供ながらに「なぜ離婚しないのか」と聞いたことは何度かある。

 

その当時は父も母も「離婚するとお前達に迷惑が・・・」「あいつが拒否するからどうしようもない」などと適当なことを言ってはぐらかしていたが、これは正直意味が分からない言い訳であろう。

毎晩毎晩、家で喧嘩している方が子供にとっては遥かに迷惑だし精神衛生上よろしくないことは明らかだ。

 

父は一応離婚には乗り気だったようだが、家庭裁判所に相談するようなこともなく、その詰め方はあの執念深い父にしてはどこか中途半端だったと思う。

ことあるごとの私の優柔不断を責めるくせに、こういう肝心な時にいつも優柔不断なのが私の毒父である。

 

なぜ、母がこれほど離婚を嫌がるのか。

なぜ、父は中途半端に母と夫婦関係を続けることを選んだのか・・・

 

・・・結局、あれだけ憎しみ合っていながら「離婚」に至らなかった理由は両親から詳しく聞かないまま今に至るわけであるが、今思うといくつかの推測は成り立つ。

 

特に我が家の場合は「母が離婚を頑なに拒否する」という事実はあったのだが、母がここまで離婚話を嫌ったのは、間違いなく私達「子供」の存在があっただろう。

 

・・・というのも、

おそらく家庭裁判になれば「母が圧倒的に不利」となる厄介な家庭事情があった。

後述するが、母はいわゆる「ダメ人間」であり、その言動は何かしらの「特性」だった可能性が高い。

そのため、父や私達きょうだいからは白い目で見られ、家庭内では「悪役」となっていた。

もし離婚が成立すれば、母についていく子はいない・・・。

子供への愛・・・というか「執着心」が強かった私達の母にとってそれは最悪の時代である。

私達きょうだい両方に対する「親権」を失う恐れがあったのだ。

そういうわけだから、母は「離婚」だけは拒否したかったのではないだろうか。

発達障害的な傾向があった母の問題行動

私が知る母は、正直かなり「意味不明な人」だった。

 

要領が悪く、物覚えもよくない。

料理は壊滅的でいつも失敗していたし、

家事全般がとにかくいい加減で安定しない。

いや、いい加減というか「本当にできなかった」のかも知れない。

 

たとえば、母は私が生まれる前、父の白いシャツを染料の濃い他の衣服と洗ってしまったそうだ。

その結果、シャツが立派なピンクに変色。父は激怒して、母にゴミ箱を被せたこともあるそうだ。(※立派な暴行であり、子供だった私にはにわかに信じがたかったのでさりげなく父を誘導尋問してみたところ、本人があっさり認めた。)

 

また、家族を含めて他者の言葉を額面通りにしか受け取れず、

ものすごく騙されやすく、しかも言外の意味が通じないので、

「察する」「空気を読んで行動を抑える」ということができない。

 

父は「わざとそう振舞っている」と頑なに主張していたが、

今の私が振り返ると「本当にできなかった」のだと思う。

 

また、「何かに夢中になると周囲が全く見えなくなる」という悪癖もあった。

 

たとえば、母はよく私達をショッピングモールなどに

買い物に連れていってくれた・・・のはよいのだが。

 

母は一度買い物スイッチが入ると、

誇張なしで「何時間」というレベルでモール内を徘徊する。

子供なんて、ほったらかしで・・・。

 

一番の思い出は弟が生まれる前だったか・・・

私は母に「ここで待っていてね」とおもちゃ売り場に一人取り残され、

ずっと母が戻ってくるのを待っていた。

 

ところが、

そのままショッピングモールの閉店時間まで母は戻って来なかった。

 

お店のスタッフが閉店作業を始めたことで「ガラガラ」とシャッターを閉める音が鳴り出す。

肝心の母がいつまでも現れない心細さと、焦りと、不安に怯えた私はパニックで泣きじゃくり、それに気が付いたお店の警備員さんに保護される羽目になった。

(警備員は若いお兄さんだったが、「泣くなよ!」と言ってライム味のガムをくれたことはよく覚えている(笑))

 

その後、放送で呼び出された母は何食わぬ顔で私の前に現れて「うちの子が迷惑をかけました!」などと言うわけだが、どう考えても子供をほっぽり出してダラダラと買い物をしていた母の責任なのに・・・汗

 

・・・と、このような出来事は一度だけではなく、何度もあったからさらに性質が悪い。

 

別の非には、同じモールのゲームコーナーに長い時間置き去りにされた。

空腹のあまり、プレイ後にアメのおまけがもらえる乗り物系遊具で遊んでいる親子を物欲しそうにガン見していたら、

その親子がずっと一人で放置されているらしい私を憐れみ、アメを分けてくれたこともあった。

 

そして何時間も経って、ようやく母が戻ってくる・・・

こんなことの繰り返しだった。

 

正直、一歩間違えば私は誘拐されていてもおかしくなかっただろう。

 

むしろ何度も一人で放置されることがあったにもかかわらず、

そうならなかったのがむしろ不思議なくらいである。

(幸か不幸か、私は昔から悪運が強いのかも知れない。)

 

さらに、父と一緒に家族全員で買い物に出かけたときは一層悲惨な結末を招く。

 

一家の買い物帰り・・・

車に乗り込もうとしたとき、

「あれ買ってくるからちょっと待ってて!」

とスーパーへ戻っていく母。

 

しかし、何十分経っても戻ってこない。

※私の幼少期は、ケータイもスマホもあまり普及していない時代だったのに加え、両親ともにそういう道具を使うのが嫌いだったため連絡も取れなかった。

 

待たされてイラついた父は、とうとう母を置き去りにして車を出して家に帰ってしまった。

そのスーパーは家から徒歩でも行けないことはない距離だったとはいえ、家に帰ってきた母は激怒。父とは当然大喧嘩である。

そしてそれを聞かされる私達子供・・・。

 

これだけを見ると、母は「頭のおかしい人」に映るだろう。

実際そうなのかも知れないのだが・・・こういった母の言動は、今思えば発達障害的な傾向が強く出ていた結果なのではないかと私は思っている。

 

私は少なくとも「親に甘えたい盛り」の幼少期を、常に母の不可解な言動によって振り回される毎日を過ごしていた。

 

それでも、母は私達を愛してはいたと思う。

一緒に料理をしたことや、遊んでくれた記憶は確かにある。

 

でもそれと同時に、

ずっとふさぎ込んだまま布団の中に引きこもって出てこない母の姿や、

風邪を引いた私を強く詰り、人格否定する母の姿も覚えている。

母の個室は、一人で暮らしていたら確実にゴミ屋敷になっていたであろうレベルで足の踏み場がなかった。

 

これらの言動は「演技」や「甘え」「サボり」だけで片づけられるものではない。

ひょっとしたら、母は発達障害的な特性に加えうつ病などの精神疾患も持っていた可能性すらある。

そのことに私がようやく思い立ったのは、私自身が周囲から発達障害的な傾向を指摘されるようになって色々勉強した後だったが・・・

 

当時の私達は、そんなことは当然気付いていないし気付きようもない。

特に、母の言動を見た父はそれを何らかの病気や特性によるものとは考えず、「甘え」「努力不足」によるものだと決めつけたのである。

 

当時はまだまだ発達障害やうつが十分に認知されていた時代ではなかったし、Twitterも黎明期。

父の無知を責めることは必ずしもできないと私も思う。

だが、それ以前に父は母に対する「偏見」「決めつけ」があった。

 

たとえば私が大人になって発達障害について知った後に「母には発達障害があったのではないか?」と父に相談したことが一度だけある。

 

その時の父は、私の推測を認めるどころか、「あいつはフリをしているだけだ」と断言し(フリであそこまでできるものだろうか・・・)、

あくまで母は「怠け者」「ダメで無能でいい加減な妻」であると相変わらず決めつけていたのである。

私は「もう、父には何を言っても通じないんだな」と諦めざるを得なかったのだった。

 

本当は、私達子供も含めた家族がもっと早く母の「異状」に気付いて、ケアをしてあげるべきだった。

 

でも、そうはならなかった。

 

それどころか、母の異常行動とそれに振り回される家族はいつしか母に対する「家庭内いじめ」を行うようになっていく。

 

その結果、母はますます壊れていき、意味不明な言動も増えていった。

突然丸坊主になったり、意味もなく大量の服を着こんだり、怪しげなセミナーや宗教にのめり込んだり・・・

 

そんな様子を見て「おかしい」と気付くどころか、ますます「ほら、あいつはダメな人間だ」と非難する父と、それに同調して母をバカにする私達きょうだい。

 

外から見れば、何とも異常で狂った家族の姿がそこにある。

でも、当の本人達(私達)自身がその異常さに気付いていないのだから、滑稽である。

 

父母の歪んだ関係は、いつしか「一家全体の歪み」に変貌していたのだ。

 

「本当にヤバいのは父だった」その父に加担した私も精神的に壊れていく

「母は悪」「父は正義」

こういう力関係が成り立っていた我が家だったが、数回の母別居→出戻りを経て、離婚こそ成立しないもののついに完全別居となる。

 

しかし、その完全別居のタイミングで、歪だった我が家のパワーバランスが変わってくる。

 

「悪役」の母がいなくなったことで、父は「攻撃対象」を失ったのだ。

 

・・・そして。

その「母の後釜」になったのは私だった。

 

つまり、家庭内の新たな「悪役」となったのだ。

 

きっかけは大学進学~就職である。

 

母と完全別居になる直前、私は浪人の末にあまりランクの高くない大学へ進学していた。

だが、その頃になると私自身がだんだん大人になるにつれて「社会不適合」っぷりが露呈していったのだ。

人よりも異様に鈍くさく、忘れっぽく、人の話や指示が耳に入らないことがある、集団行動は苦手で人見知りが激しい。

父から成人祝いに贈られた腕時計の入った筆箱一式を、人とテンパって会話した拍子に教室に置き忘れた挙句、二度と戻ってこなかったという事件もあった。

勉強も、正直私の中では苦手だった。

 

丸暗記系の科目はそれなりにできるが、難しい数式や英文を教わってもなぜそうなるのか、根本的な理解ができないので丸暗記するしかない。

だから、決して「ランクの高い大学」には行けなかったのである。

 

バイトをしても全く仕事が覚えられないし、人の出入りが激しい仕事ではすぐパニックになって呆然とし、上司から怒られて、恥と罪悪感のあまりすぐ辞めてしまう。

 

そういった私の間抜けさがだんだん露呈していくにつれ、父は次第に、母に対するそれと同じように、私の怠惰や注意不足を詰り、責めるようになっていく。

さらに「俺の言うことが聞けないなら出ていった母と暮らせ」「お前、あいつ(母)に似てきたな」など、母との関係を利用して私を抑圧するような言動も増え始めた。

 

つまり、男手一人で頑張って子供達を養っている「立派なお父さん」と、その「立派なお父さん」の期待に応えられない「ダメな子」・・・つまり私である。

抜けた「ダメな母」の代わりに、今度は私がそういう「役」を新たに割り振られたのだ。

 

しかも弟は私より優秀で、父の期待通りの働きをできる子だったことも私には災いした。

※今では誰もが一度は名前を聞いたことがあるであろう某有名企業の系列会社で技術者として働いている。

 

弟との関係は紆余曲折あって今では良好(だと私は信じたい)だし私も全然嫌ってはいないが、やはり弟の優秀さと比較して私の人生のグダグダっぷりは父にとって「期待外れ」であり「イラつく」ものだったに違いない。

 

父は、あからさまに私だけに暴言や八つ当たりをするようになった。

 

あるとき疲れて食事をしていたら、味噌汁を机の凸凹にひっかけてこぼしてしまったことがあった。

その時、父はキレて「わざとだろ」「食べる気がないなら食べなくていい」と酷い言葉をぶつけてきた。

こういう八つ当たりを、私だけにしてくるのである。

 

私はダメで出来の悪い子だ。

私は父にとって理想の子になれなかった。

 

本当は、趣味も興味も父とは違う。価値観も、人生の理想も違う。

 

でも父に捨てられたくないから、認められたいから、

ずっと自分を押し殺して(表面上は)父の言うとおりに生きようと頑張った。

 

でも、私にはどうしてもそれができないのだ。

 

そして、就職後・・・

私という人間の「粗悪品」っぷりはますます露呈していく。

 

人の半分も仕事ができないし、1年目にして重要書類をシュレッダーにかけて始末書を書いたこともある。

上司からは嫌われ「史上最悪の新人」と罵られた。

そうして逃げるように退職・・・

 

周囲からの第一印象は「真面目そう」なのに、いざ仕事をさせるとひたすらポンコツで、もはや要介護レベル。

 

自分の仕事が片付かず、何時間もサービス残業する自分のダメさに絶望して、死を考えたこともあった。

 

そういった悶々とした日々の中だった。

私がたまたま「発達障害」に関するネット記事を見たのは。

 

そして、私自身・・・

あるいは母にも「そういう特性」があったかもしれないと気付いたのである。

※ちなみに、職場の上司の一人が、退職の際私に「発達障害の可能性」を伝えてくれたこともあり、大学やその他知り合いからもたびたびそういう可能性を指摘されることがあるので、かなり可能性は高いと思う。でも今は「疑惑」止まりでなかなか診断には踏み切れていない。その理由もいずれ語る。

 

何はともあれ、そういったストレスだらけの生活を送るうち、私はふと母のことを思い出したのだ。

 

そして、もう手遅れながら気付いたのである。

 

 

頑張ってるのに父(夫)の理想通りできないことがどれほど辛かったか。

自分でも自分のダメさの原因が分からないことがどれほど辛いか。

あまりに苦しいから現実逃避をしたらまた責められる・・・これがどれだけ苦しいか。

 

そして母がこの父親(夫)と、私が知らない期間も含めどんな思いで毎日過ごしてきたのか。

父が、どれほど母に「自分の理想」を強いてきたのか。

 

母もそんな思いで毎日耐えながら・・・

そして耐えられずに精神が壊れて「ああなって」しまったのかも知れないと。

 

また、正直私自身が「大人」として父と接することになってから、初めて父の異常な偏見の強さや思い込みの激しさ、他者への過干渉ぶりに気付きかけていたことも「母」を再評価するきっかけではあった。

 

一見真面目に見える父だが、

その家庭内での言動をよくよく思い返すと「相当に気持ち悪い」人物だった。

 

人の話を聞かない。すぐ否定する。マウントを取る。

他人の欠点にはよく気付き、罵るが、基本的にその指摘がブーメランなことも多い。

 

そして、「自分の価値観を他人も共有していて当然」と考えており、

自分の基準値を他人に押し付けようとする。

 

その価値観に合わない人は「価値観が違う」どころか

「人間的に粗悪で、劣った人種」だとでもいうように、見下すような発言をする。

 

また、女性に対して異様なまでの偏見を隠そうともしない。

 

行き過ぎたフェミニズムへの批判とかそういうレベルではなく、

  • 「女性は感情的」
  • 「女は運転が下手」
  • 「女性はかくあるべき」
  • 「それはいかにも女性的な考え方だ」

・・・というような、昭和脳をひたすら引きずっているようなレベルの男尊女卑思想を持っていた。

 

こんな人間と何十年も毎日接していたら、母も精神が壊れるに決まっている。

 

そして私はそんな父を妄信し、一緒になって母をいじめていた。

私自身もいじめられっ子であり、色んな意味で感覚がマヒしていたのかも知れない。

 

だが、私は取り返しのつかないことをしてしまった・・・それに気付いたけれど、もう何もかも遅い・・・。

 

 

・・・確かに、母にも異常な言動はあった。

毒親か普通の親かと言えば間違いなく「毒」側に分類される親だろう。

 

恐らく故意ではないとはいえ、子供を何時間も放置したり、理不尽に八つ当たりしたり、「殺す」と言って本当にそれを実行しかけたりと毒エピソードは枚挙にいとまがない。

 

しかし、そんな母と同等かそれ以上に、私が「正義」と思っていた父もまた「ヤバい」人間だったことに私は気付いたのである。

 

これを読んでいるあなたが、

「夫婦関係は、片方が一方的に悪いことではなく必ず双方に原因がある」

という言葉を聞いたことがあるかどうかは分からない。

 

父の正義を信じていた当時の私は、最初にこの言葉を叔母に言われて「そんなことない」と否定していたが、私の両親の「闇」を知った今の私は断言できる。

「夫婦関係は、片方が一方的に悪いことではなく必ず双方に原因がある」

この言葉は「正しい」と。

 

昔、私が自動車教習所で教わって妙に印象に残っているフレーズがある。

 

それは、

「交通事故は、片方のドライバーが下手くそでももう片方が上手ければ回避できる。両方が下手くそだから、事故が起こる」

というものだ。

 

夫婦関係もこれと同じではないだろうか?

 

片方がマトモなら、和解することも出来たかもしれないしもう少し歩み寄れたかもしれない。

また、どうしてもダメなら離婚するなりといった手段を取るはずだ。

 

だが、私の両親は「あんなに嫌い合っているはずなのになぜか」ずっと夫婦を続け、ダラダラと同居を続けた挙句、私達子供にとって害悪しかない悲惨な人生経験を多数もたらした。

 

あの二人が離婚しない理由はイマイチ分からないが、少なくとも私の両親は「双方に人格的・精神的問題があった」と言えると思う。

 

複雑怪奇な我が家のエピソード(?)は次以降でまた詳しく語りたいと思うが、この記事はひとまず区切っておきたい。

家庭崩壊の続きは↓

プロローグ「壊れた家族」その2 「母親編」:両親別居騒動と家庭内いじめ
冒頭の記事 上記の記事では、私の生まれ育った家族の「あり方」と、 このブログで私が語っていきたいことを解説させていただいた。 この記事では、家族崩壊のある意味「キー」となった私の母について・・・ 話せばものすごく長ったらしく...

 

 

家族の歪みは、自己責任で済む話ではない!

私はこのブログで、毒親家庭のノンフィクションな実態を主に語っていきたいと思う。

加えて、そういった家庭に生まれ育ったことで受けた苦しみや、二次障害についても吐き出していくことになる。

 

残念ながら世間の機能不全家族や毒親を持つ苦しさに対する理解は十分だと思わないし、

理解する気が感じられない相手に対して無理に理解を得ようとも思っていない。

 

だが、一つ言いたいのが以下のような言葉に対する反論である。

 

「親のせいにしていいのは20まで」

というような言葉がある。

 

つまり、

「自分の人生が上手くいっていないのは親の育て方のせいだと決めつけて自分の努力不足を隠しているんだろ!」

というような言い分だ。

 

確かに、そういう面がないとは言わないし、大して毒親でもない親に責任を押し付けて努力をしなくなった人もいるとは思う。

 

だが、それを分かったうえで私は敢えて言いたい。

「家庭環境の歪み、ナメんな!」

・・・と。

 

そういう人達は、分かっていないと思う。

私・・・あるいは私などよりももっと酷い家庭環境の歪みで育った人間にとって、それがどれほど精神的トラウマになるか。

そしてどれほど「精神的な発達」の遅れ、あるいはバグをもたらすかを。

 

家族の歪みは、自己責任で済む話ではないと私は思う。

 

マズローの五段階欲求

毒親家庭がどれほど子供の健全な発育や自我の成長に害をもたらすか・・・

その根拠として私が引き合いに出すのは「マズローの五段階欲求」という理論である。

倫理学・社会学を学校で履修した人なら恐らく名前くらいは聞いたことがあるかも知れない。

 

マズローの五段階欲求とは、

「社会的欲求」

「生理欲求」

・・・などなど、本人の精神的・経済的レベルによって人生において重視する欲求が変わってくるという概念である。

仮図

 

たとえば、ピラミッドの上位にある「承認欲求」とは、たとえば社会人として・社会の一員として「他者から尊敬されたい、認められたい」と願う欲求のことを指すわけであるが・・・

 

たとえばある人が、子供の頃から成人に至るまでずっと親から精神的支配や、より直接的な暴力を受けていたとしよう。

この場合、彼は「安全欲求」や「生理欲求」が十分満たされない・・・あるいは暴力やネグレクトによって食事すらまともに与えられないなど「親自身がその欲求を脅かされている」という状態である。

 

一般的な家庭では、ちゃんとご飯を与えられ、暴力などによる支配もない。

私の家庭のように、親が憎しみ合った末に●しあいかけるといった恐怖もない。

 

そういう家庭でそだった子供は、「安全欲求」や「生理欲求」が満たされているわけであるので、より高位の「社会的欲求」「承認欲求」のステージへ問題なく進める。

 

だが、ネグレクトや虐待(肉体・精神含む)を受けてきた子供というのは、この五段階成長のどこかでバグが発生する。

ジムバッジ持ってないトレーナーがポケモンリーグの検門のどこかで追い返されてしまうように、より上位の「欲求」へ進むことが出来ないのである。

 

特に親元から離れるまでずっと満足な食事を与えられず、暴力などを受けていた子供は「安全欲求」はおろか「生理欲求」すら満たされていないまま成長していくわけだ。

 

子供が大人になり、いわゆる「社会人」としてはばたくためには、いわゆる「目標」や「信念」あるいは「他社との健全なコミュニケーション能力」を育んでいる必要がある。

だが、まずその能力やメンタルを本人が持てるのは、幼少期に「安全欲求」「生理欲求」が既に満たされており、「正常な手順で」成長してきたからである。

 

しかし、虐待家庭や機能不全家族で育った子供はその「将来の目標」や「ビジョン」を抱く以前の問題でずっと成長が止まってしまっているのだ。

 

具体的に言うと。

親から「俺の思い通りに育たなければ価値がない、捨てる」などと脅されている子供は、自分の目標や夢を持つために必要な「社会的欲求(家族や友人から認められたい)」という欲が満たされていない。

なので社会人として活躍したい(出世欲)などを含む「承認欲求」の段階へ進めない。

親から虐待などを受けている子供は、「親の機嫌を損ねれば殴られる」「親の機嫌を損ねれば食事を与えてもらえない」などの生命の危機に置かれているわけなので、家族や社会の一員として存在を受け入れられたい(誰かと仲良くしたい)などと思う余裕がない。まして夢や目標など持つ以前の問題である。

 

このように、本人の欲求や成長に「大きな遅れ」をもたらすことになるし、長い間親から離れることが出来なかった場合は大人になるまでずっと五段階欲求の「下の段階」で停滞してしまうこととなる。

 

そうした「精神的な成長の遅れ」は、本人にとってものすごく大きなハンデとなる。

 

私は親元から離れるまで・・・あるいは今でも「自分のやりたいこと」「夢や目標」というものが分からなかった。

最近、親の意向による干渉を受けない環境にいて初めて私は「自分のやりたいこと」を考えたり、「他人と、自分の意志で関係を築くこと」をようやく覚え始めた。

 

でも、それは本来青年期までに(まともな生育環境で育った人間なら)身に付いていて「当たり前」のものである。

私は、いわゆる「就活」の年齢までにその「最低条件」をクリアすることが出来なかった。

 

笑ってくれて構わないが、私は大学時代に

  • 「初めて友人にご飯を奢った」
  • 「初めて友人の家で寝泊まりした」
  • 「初めて独りでボランティア活動に参加した」

・・・など、その程度のことで「今日の私めっちゃ頑張れた!」「成長できた!」と大喜びしていたのである(笑)

 

しかし、周りの同年代は皆バイトなどをして自分の夢や将来について既に考え始めている段階。

私が出来て喜んでいる程度の事なんか、中高時代にとっくにクリア済みなのである。

 

そして私は、就活という一番大事な時期にも「自分のやりたいこと」「目標」などが一切分からなかったし、そもそも「社会人」になるなんてまだ早すぎると思っていた。

もっと時間が欲しかった・・・

 

・・・このように、何らかの理由で「五段階欲求」の進歩が遅れてしまった人間というのは一般的な人(この言い方も好きではないが・・・)5年、10年単位の成長の遅れを受けることになる。

この遅れは、年齢なんて関係ない。

20以降になろうが40以降になろうがずっと尾を曳き続けるのではなかろうか?

さっきも挙げた「親のせいにしていいのは20まで」などという理論があるが、これは大間違いだと私は思う。

 

むしろ、歪んだ生育環境の悪影響がモロに出始めるのが「20から」であり、閉鎖的な家族で育った場合はむしろ20を過ぎてもまだ「親の歪んだ子育てのせいで成長がおかしくなってる」と気付かない危険性すらある。

 

ここで「親のせい」にせず、いつするというのか・・・と私は思う。

むろん、私もいつまでも親の影響を嘆いていることはよくないと思うし、それこそ心の中で親を放り捨ててでも「前」へ進む努力はすべきだと思う。

私は少なくとも、親の悪影響にめげすに「前」へ進もうと頑張ってきたつもりだ。

 

だが、それはそれとして私は「親の悪影響を、子供が認識すること」も大事だと思うし、前に進むために(いわゆる解毒期間として)必要な段階であるとも思う。

 

それを「親のせいにしてる、本人の努力不足」と一概に切り捨てるのは余りにも酷だし、私は許せない。

 

私もそうだが、毒親に育てられた本人からしたら「生理欲求」や「安全欲求」すら満たされず、成長が遅れながらもなんとか今日まで頑張って生きてきたのだ。

だがその「頑張り」が社会に求められないベクトルの頑張りであることも事実だ。

 

そのため、本人が「遅れ」を取り戻そうとする間にも精神疾患に苦しむとか、仕事が見つからないとか、やりたいことがないせいでスキルアップが遅れるなどの原因で貧困にあえぐことも多い。

しかし、その辛さを知らない人はそれを「お前の甘えと努力不足による結果がお前の現状だ」と切り捨てるわけだ。

 

もちろん、毒親育ちだからと、前に進む意欲すらなくして「人生を根本的に諦めている」人もいる。

でも世の中には「前に進みたいけど、親によって道にバラまかれた障害物のせいで思うように進めず苦戦してる」人もいるのである。

 

残念ながら、「親のせいにしていいのは20までだ」というような言葉が象徴するように、世間では「親の歪んだ教育や、壊れた家庭環境」による悪影響はあまり認められていないと思う。

なんだったら、被害者本人ですら「親や家庭環境による悪影響」を認知できず、ずっと「自分はダメで無能な人間だ」と自己卑下に陥っている人も多いだろう。

 

だが、

「そうじゃないんだよ!!!」

というのを、私はこのブログで少しでも広めていきたいのだ。

 

毒家庭や毒親による悪影響を認知し、「前へ進む」きっかけとするために。

 

このブログで語りたいこと

このブログでは、主に私の「機能不全家族」当事者としての体験談を語る場となる。

その派生として「毒親」経験談も語っていくこととなると思う。

 

一つ、このブログを読んでいる方に知っておいて欲しいことがある。

 

私も偉そうなことを言っているが、

私だってまだ完全に親から植え付けられた悪影響を取り去ったわけではない。

 

「現在進行形で歪んだ家庭環境の悪影響に苦しみながらも、

前へ進むために(見苦しく足掻きながら)戦っている人間の一人」

だということを、知っていて欲しいのだ。

 

つまり、私はメンタル医やカウンセラーのように

「専門知識から偉そうにアドバイスや治療を行う非当事者」

などではなく、毒親家庭や機能不全家族で育った皆と「同じ」だということ。

 

私は今、独り暮らしで(ギリギリながら)何とか生きている。

家族からの援助はないので、メンタル的にも金銭的にもそこそこ苦しい。

 

長年のトラウマ(無論その所為だけではないことは自覚している)による根本的な自己肯定感の低さは、今なお私を苦しめ続けている。

 

また、友人や職場でたびたび指摘される発達障害の可能性も、いずれ決着を付けたいが金銭的にそれも厳しい。

うつ傾向もたまに指摘される。

 

そんな私が、自分の思いや苦しさを吐き出す場として見つけたのがTwitter(広く言えばインターネット)である。

 

私が知らなかった「毒親」や「AC(アダルトチルドレン)」といった概念も、ネットがあったからこそ知れたことだ。

そしてそこには、私と同じ苦しみを味わいながら「戦ってきた」仲間がたくさんいた。

それは、私の心の支えになっている。

 

私もまた、私自身の経験を呟いてみた。

 

普通の家族にはあって、私の家族にはなかったもの。

普通の家族では受け取れていて、私の家庭からは受け取れなかったもの。

そして私が家庭で欲しかったもの・・・。

 

そういったことをTwitterで呟いていた結果、意外と多くの方から反響をいただいたことがこのブログを書いてみようと思ったきっかけである。

 

ここで書くのはハッキリ言って「自分語り」であり「独断と偏見」に満ちた家族論や子育て論「のようなもの」である。

 

だが、そんな「自分語り」を通して、少しでも「機能不全家族」の実態や苦しみを同じ境遇の方と「生きづらさ」共有し、少しでもその肩にのしかかった「重荷」を分かち合えればとも思っているし、

あるいはこのブログを「親御さん」の側が読んで、機能不全家族で育った当事者である私の経験談を通して少しでもご自身の「子育て」への向き合い方のヒントとしてくれるならばこの上ない喜びである。

 

もし、このブログ、そして筆者である私・・・

しまむー@ななころび・どくおやおき(@acadsimamu)

のことを覚えてくれたのであれば、是非今後もこのブログに遊びに来てもらえればと思っている。

 

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