プロローグ「壊れた家族」その2 「母親編」:両親別居騒動と家庭内いじめ

冒頭の記事

プロローグ「壊れた家族」その1~「あの子達を殺して私も死ぬ」~
「あの子たちを殺して私も死ぬ!!」 ・・・ある晩、いつものように父と言い争っていた両親。 ここまでは、我が家の日常。 しかしその晩はちょっと様子が違った。 突然、母がそれまで見せたことのないほどの半狂乱に陥り、 突如台所か...

上記の記事では、私の生まれ育った家族の「あり方」と、

このブログで私が語っていきたいことを解説させていただいた。

 

この記事では、家族崩壊のある意味「キー」となった私の母について・・・

話せばものすごく長ったらしくなるので記事を分けたのだが・・・

「彼女」について、詳しく語ってみようと思う。

 

最初に断っておくが、私は今では母をそこまで憎んではいない。

 

だがハッキリ言って、母も母で十分に「毒親」であると思うし、

人の親を務められるレベルの精神年齢ではなかった。

 

気分屋で、機嫌が悪いときは子供に虐待やネグレクトじみた行為をしてきたり、

発狂して包丁を振り回したり、そういう意味では間違いなく「毒親」ではあるが、

父に比べればまだ同情の余地はあると思っている。

 

前の記事・・・そしてこの記事で詳しく語っていくように、

今思えば母は明らかに精神を病んでいたか、いわゆる「特性」を持っていた。

 

そして、その母の異変にちゃんと向き合わず、適切なケアをせず、

冷酷な対応をしてきた父こそが家族崩壊の「真の元凶」だと私は思っている。

 

だがそれはそれとして、母の異常行動やその問題についてはしっかり分析しなければならない。

 

・・・そして、そんな母を「悪役」としていじめてきた父と、

私達きょうだいを含めた家族の「罪」にもしっかりと向き合いたいと思う。

 

母の奇行と、不満を募らせていく家族

母は、正直言ってかなり「変わった人」だった。

 

・・・いや、(今となっては共感すら覚えるが)限りなく「社会不適合」だった。

 

プロローグ1(https://acadsimamu.com/)でも語った通り、

家事はろくにできないし、子供をおもちゃ売り場や遊戯場にほったらかしにして、スーパーの閉店時間まで延々と買い物をしてしまうような異常行動も目立った。

 

潔癖で要求の多い父との仲は最悪。

あるとき、車で帰る直前に何かを思い出して「すぐ戻るから」と買い物に戻った母が、いつまでも戻らないことにキレて、母を置いてけぼりにして車を出して帰ってしまったこともある。

 

洗濯でうっかり色つきのものと一緒に父のシャツを放り込んでしまい、見事なピンクに染めたことでキレた父にゴミ箱を被せられたこともあったという。(これは父本人が武勇伝のように自白したので裏は取れてる)

 

 

 

 

最初の別居。逃げ出した母に「失望」した私達きょうだい・・・家庭内いじめの始まり

最初に母を攻撃し始めたのは、ここまで述べた通り父であることは間違いない。

私達子供は、少なくとも小学校高学年になるあたりまでは母のことを慕っていたし「母親」として大事にしていた。

 

だが、小学校高学年くらいになると、子供は悪い意味で小賢しくなってくるものである。

それまでは周囲の大人・・・つまり教師や親を「絶対的なもの」と見ていたが、だんだん大人の言動にも「嘘」が含まれていることを知り、「ダメな部分」があることに気付く。

 

私もその点に関しては例外ではない。

母に対しても、主に父から「母の悪行」を吹き込まれる形でだんだん「疑念」を持つようになり、軽視するようになっていった。

※もちろん、母にスーパーで置き去りにされた記憶や、暴言をぶつけられたことへの怒りが湧いてきたこともある。

 

父に加え、それまでは母を慕っていた私と弟の態度が一変したのは、母が最初の別居を行ったことがきっかけだった。

 

この最初の別居の経緯はイマイチ覚えていないが、おそらく父のロビー活動(?)によって「母は悪人」と思うようになっていった私達が、徐々に母を軽視するようになっていたことが原因かもしれない。

その晩、母は見苦しく泣きわめき、マンションの廊下で「卑怯だ」と父を詰りながら出ていったことを覚えている。

 

私達きょうだいは「はいはい、いつもの喧嘩ね」と思っていたので、協力プレイ系のゲームをしながらスルーを決め込んでいたが、そういう私達の態度が余計母には堪えたのだろう。(そもそも毎晩喧嘩している両親に付き合う義理はないが)

気が付くと、本当に母が出ていってしまった・・・。

 

私達きょうだいは、訳の分からないまま父子家庭の子供に早変わりした。

その後、1年以上私達は父子家庭として必死に生活することになる。

 

しかし、その生活にも慣れ始めたちょうどその頃。

まだ1年も経っていないというのに、母がおめおめと戻ってきたのだ。

 

しかも、父のいない時間帯に家に押しかけてきたのだから性質が悪い。

 

突然現れた母にパニックになった私達は受け入れを拒否するが、玄関前にいつまでも居座る母。

弟と二人で何とか籠城戦を決め込み、ストーカーじみた母を何とか追い返そうと頑張るが、母は決して帰らない。

 

どうしようもなくなって父に電話した結果、とりあえず家に入れるしかなくなった。

親戚一同を巻き込んでの大騒動の結果、とりあえず「改心した母」の様子を見る形でまた一家同居を始めることになる。

再同居から数週間は、一家も比較的平穏に過ごしていた。

 

今度こそ、平和な家庭になるかも知れない・・・

・・・・・・が、母はそんな期待を見事に裏切った。

 

家事が上手くいかないことにいら立ち、

「助けてよぉぉぉぉ!!」と駄々をこね始め、

「いつもの母」に戻ったのである。

 

その後、正気になった(?)母はひたすら私達や父に謝ることでその場は取り繕ったが、内心私達きょうだいはそんな母の見苦しい有様を見て、

「完全に愛想を尽かした」。

 

 

 

母がいる限り「ダメな妻に振り回される誠実な夫」でいられた父

  • 実は父も心のどこかで母と共存的な関係があったのではないか?
  • 父は仕事ではどんどん居場所を失い、若い社員にマウントを取られてイライラしていた
  • 母という「ダメな存在」がいることで、自分の人生が上手くいかない理由付けになったし、「ダメな妻に振り回される可哀相な父親」として自己弁護できた。
  • 実際、母がいなくなってからは「根っこの性格や価値観が近い」私が父のターゲットとなった。「ダメな子に振り回されても頑張る父親」となれた。

 

一生拭えない「罪」

  • 今になって振り返ると、母は本当に哀れだった
  • 正直母もヤバい人間であることには変わりない。
  • +父はそれ以上に歪んでいた
  • でも、いくら言い訳をしても自分達きょうだいも「ダメ人間な母をいじめていた」ことは一切言い逃れできない
  • 一生背負っていく罪になった
  • いずれにせよ、家族内の不和は何も良いことがない

 

 

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